(小説・エッセイ) 『悲しみよこんにちは』

悲しみよこんにちは(改)2

  フランソワーズ・サガンの長編処女作『悲しみよこんにちは』(1954年)新潮文庫。

 ・・この本を読むに至った経緯は”独白もの”(と勝手に自分でジャンル決め)ジャック・ケルアック「オン・ザ・ロード」、素九鬼子「旅の重さ」と続けて読んだ直後、たまたまテレビ(NHK BS)での映画で「悲しみ~」が放映されることがあり一応予約録画して観ようと(単に名作だということから)したのだがサガン原作本をそれまでに一冊も読んだことがなかった自分にとってタイトルくらいは当然昔から知ってたのだが内容はまったく知らなかったので映画を観る前に”モノは試しに”と古書店の100円均一の文庫本をさっそく購入して読む。

・・うまいぐあいに「旅の重さ」から引き続いたような少女の独白ものというべきか、ピリピリした(トゲトゲした?)十代の少女による残酷さ、年齢以上の思慮感(おマセぶり)に自分は世の女の子というのはこういったものなのかぁ~?いや、あれはまったくの誇張した創りごとなのか?・・とあれこれ思いながらもけっこう楽しんだかな。

・・主人公のセシルは確かに直接殺人を犯した訳ではないけど計画した策略をしたことによってひとりの人間の事故死につながったのは犯罪に全うする事実。

・・ちょっとニュアンスが違うと思うかな?読んでて松本清張原作の『影の車』(犯罪光景)の中での、少年による殺意の有無についての問題なども同時に思い起こしちゃったかな。

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