(映画パンフレット)『17歳 』

 フランソワ・オゾン脚本、監督作品『17歳」』(2013)

  原題「Jeune et Jolie」

 (出演)マリーヌ・ヴァクト、アリス – シャーロット・ランプリング

・・自分たちの17歳の頃はどうだったか?と、ちょっと思い返してみる。

たしかにこの映画のように体を売ったりするような同級生は(たぶん)いなく、健全であったろうと思われるが・・裏の顔を持つ男も女も生徒ももしかしたら居たかもしれないが、自分の目から映ってた17歳の頃の世界はまだ大人になっていない(まだ性にも無頓着な)うぶだったかもしれない。

今思い返してみてのあの頃、たしか音楽の先生として研修出たてのまだ初々しい女性の教師が思い起こされる。面影は残ってるが名前は思い出せない。たしか或る授業では「良い歌が・・」ということで山下達郎の「クリスマス・イブ」をかけてみんなに聴かせたりしたことがよく記憶に残ってる。その時に自分も初めて聴いて良い歌だなぁと(今ではすっかり有名となってる歌も)思いながらのちにテレビやラジオから流れるたびにこの時の記憶と名前の忘れてしまった先生のことが思い返される。

我らその時の学校は優秀な学校ではなかったが、かといって低レベルの不良学校でもなくいたって普通の男女共学のなか・・(テレビや映画のなかでの世界では)性に悶々となる男子生徒らが教師に対しちょっかいかけたり、告白したり、ましてやアダルトな世界では暴行もあったりなどフィクションではいろいろあるもの。そんなフィクションの世界とはまったく逆の自分をはじめクラスメイトの仲間や男たちはそんな打ってつけのような先生に対して言葉すらもかけたりも無く(勿論茶化したりすることも無く)何も関心ないようなうぶだったのかな?と今思うんだが。おじさんとなった今考えるとなんて勿体ないと思うこともあるんだが(かえって今の方が悶々となってるんじゃないか?)当時の17歳だった自分らはまだ子供だったんだね。

いろいろ考えると残念に思ったり悔やまれたりもあるかもしれないが、理由は単純で、当時の自分たちにとっては男女間の性に関することよりも(日頃から悶々とすることもなく)他に興味やクラブ活動など夢中になってたモノがいろいろあってそれらに一生懸命だったと(健全だったんだなぁ~)いうことだったと・・自分だけがそう思ってただけで本当にそうだったかどうかはわからないが、例えでいうと『桐島、部活~』での神木君たちが周りにいっぱい居たような世界といっても過言でない感じだったかな。

・・国は違えど、こういう性やドラッグや暴力のある学校(生徒)ネタに関しては自分たちとは無縁だったまさに別世界のフィクションとして観てしまうよね。

・・あの名前の思い出せない先生、まだ現役で先生を勤めているのかな?