(映画パンフレット)『追想(2018)』

 イアン・マキューアンの原作小説「初夜」を映画化(脚本)、ドミニク・クック監督作品『追想』(2018)

 原題「On Chesil Beach」

 (出演)シアーシャ・ローナン、ビリー・ハウル、エミリー・ワトソン、

・・たしか、公開前の予告を観てマキューアン原作というよりも、シアーシャ・ローナン出演作ということで(たしか『ブルックリン』やレディバード』観てそんなに時間経っていない頃じゃなかったんじゃないかな)チェックしてたんだけど・・見逃してしまった。

あれから3年?古書店でふと手にとったマキューアン原作の『初夜』。あぁ、たしか『追憶』の原作だったなぁと(安価だったことと簡単なお話の説明を読んで)ちょっと読んでみようかと。もし気に入ったら次は映画でさらにパンフもかなと。

一気に読んでしまったね。いあやぁ、ヒリヒリするほど切なかった。考えさせられるものも多々あったね。最近読んだもののなかでグッときたね。はたして映画ではどうなるのか?と大いに期待して(シアーシャ・ローナン出演もあって)DVDにて鑑賞。

先に映画のタイトルにかんして。『追想』・・いいんだけど(文句というほどじゃないけど)過去にも(バーグマン出演など)さらには邦画にも使われるほどのありがちなタイトルにもうちょっとなんとかならなかったのかなぁって。『初夜』はないにしても、そのままチェジル・ビーチでも良かったんじゃないかな?と個人的捉え。

過去とその晩との行ったり来たりによる展開だったけど、個人的には原作に則したかんじの過去での生い立ちなどの紹介があってあとはずうっとメインのその6時間に焦点を合わせてほしかったなぁ~と。映画では1975年、2007年と年代があったりもしたけど、ひとつで良かったんじゃなかったかなと思ったし、娘(クロエって、ヴォリス・ヴィアンの「うたかたの日々」だね)との接触はどうだろ?まで思ったりも。というのは、あんなに年数も過ぎればいい加減(再婚もしたであろうし、いくらなんでもあの時の一晩だけの男のことは普通に忘れるんじゃないかと)ちょっとオーバーにも思ったこともね。まさか娘もあっての頃に(演奏会時に)席の方に目を向けるほどでもなかろうなどね。

実際、原作も映画も二人とも年を重ねながらも生きてる設定だったけど、この映画を観ながら、男の回顧してる姿を見てて『コキーユ』(中原俊監督)なんか重なって思い出されたこともあったかな(こちらはもっと切なく一方がもうこの世にはいない設定での回顧など)。

あらためて原作、映画を思い返してみて、主人公(男)が自転車で気晴らしに走っていった先にまさにヒロインがチラシをくばりながら(非核の集まりだったっけ?)出会うシーンを思うと、フィクションとはいえ人間、出会うべくして出会うタイミングというものがあるんだなぁ~なんて思ったね(その後も別れるべくしての仲だったということだったのかな?)。しかもその出会いのシーンも初々しくて思わず自分も若き頃なんか瞬時に思い出されたりもしたね。

さて肝心なシアーシャ・ローナンさんに関しては・・やっぱりよかったなぁ。もう成熟した女性として今回ハスキーな声がこれまでに観た出演作でのキャラぶりよりも格別によかったね。2007年での舞台での演奏時での年とり方(メイク)も自然な感じにみえてこれもよかったね。

サントラ(スコア)に関してはとくに耳に残ったようなメロディーはなかったような。なのでじゃないが、イメージ的には映像を観ながら自分で勝手に『聖杯たちの騎士』のリフレインするメロディーが耳の中で流れてたね。あくまでもイメージとしてね。

・・映画を観終えて・・(愛する)ということはどういうことなのか?って考えさせられたね。老いも若きも簡単に「愛してる」って云う。ただ、自分の要求することばかり云ったり、体を求める一方に対して信頼や安らぎを求めるもう一方も居るなかで、これは愛するというより(好き好き)の恋愛をしてるだけの仲も確かにあること・・いろんな面で過去には美輪さんの本などにも学んだしね。相手のことを信頼してすべてを受け入れなんの不満もない仲が本当の意味での愛する仲じゃないかとね。やっぱりお互いのことをもっと知ってから(期間がすべてじゃないけどね)結婚に至るって考えも大切だと思うんだけどね。これもお互いにとっての人生のシナリオであり、学びなのかね?

・・ということで、いま現在、気に入ったせいか、マキューアン原作「贖罪」を読んでる。その感動度合いによっては、映画の『つぐない』を観ようかと。

あとは来月あたり公開予定の『アンモナイトの目覚め』を観なくてはね。