(映画パンフレット)『レインマン』

 バリー・モロー原作、脚本、バリー・レビンソン監督作品『レインマン』(1988)

  原題「Rain Man」

 (出演)ダスティン・ホフマン 、トム・クルーズ 、ヴァレリア・ゴリノ、ジェラルド・R・モーレン、

 (音楽)ハンス・ジマー

  第61回アカデミー賞作品賞

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・・この映画でのお兄さん(ダスティン・ホフマン)のサヴァン症候群に関連してというわけじゃないが・・日本テレビ「NNNドキュメント ~みいちゃんのお菓子工房 ~場面緘黙症 少女の夢~~」を録画してみる。思った通りだった 。やはりこの番組を観るに値すると心からそう感じるものがあったね。ヘタに感動を誘うようなワザとらしい映画や大げさに涙を誘うような白々しいドキュメンタリーとは違って、小粒ながらもグッとくるものがあって(自分にはね)心にもチクッと刺さって何か書かずにはいられなくなったんで、こうしてアウトプットすることにした。

一言で云うと共感したのかな?

 「発達障害」・・そうだよなぁ~、確かに現在においての3次元的この地球上に住んでるいじょう喋れなくなったり体が動かないとなると日常生活に差支えあるとされ普通じゃないとみられる。

自分は画面の中のみいちゃんを見るなり、即、スターシードじゃないか?と。しかもこれだったらできる・・という以上の人並み以上の活躍(一芸に秀でるアート作品やミュージック関連、記憶力など)できる人も昔から多いよね。或ることになると一心不乱というのか自然と身体が機能するように黙々と働く人たち同様、みいちゃんの働きぶりもホント健気で美しかったこと。

だからなのか、学校に連れてかれて授業など受けるみいちゃんの姿を見るとなんだかかわいそうでかわいそうで(自分の娘でもないのに)見ちゃいられなかったシーンもあったね。気の毒というのか残酷というか無理矢理っぽくみえたのね。

いや、なにもお母さんや学校の先生等を責めたり非難するというわけではなく、そうまでしても(果たしてみいちゃん本人にとっては嫌々だったのかな?)学校へ行くという社会的概念が本当に必要だったのかなと他人事ながらも思ったんだけどね。どうなんだろ?だからか、みいちゃんの姿を見ながら自分を省みると「何を怖気付くものがあろうか!?」とお尻をひっぱたかれた感じだったね。失礼ながらも、みいちゃんとは違って自分は場所など問わず固まることもなく動くこともできることから。まだ身体的に優遇されているんだとね。  

だからホントに番組でのみいちゃんの立ち振る舞いを見てちょっぴり勇気づけられたんだよね。

 やっぱり人間にとって居場所というのは必要なんだね・・と、自問自答してる。