Updated on 11月 30, 2024
(映画パンフレット)(原作松本清張作品)『天城越え』
松本清張原作短編集「黒い画集」のなかの一篇同名短編を映画化、(第一回霧企画、霧プロダクション)野村芳太郎製作、三村晴彦、加藤泰脚本、監督作品『天城越え』(1983))
英題「Amagi Pass」
(出演)田中裕子、渡瀬恒彦、平幹二朗、伊藤洋一、吉行和子、小倉一郎、伊藤克信、石橋蓮司、坂上二郎、樹木希林、加藤剛、山谷初男、北林谷栄、
(音楽)菅野 光亮
「私の名はハナ、咲いた咲いたのハナ・・・」
・・このパンフを購入したもぅ20年以上前になるかな、以来の鑑賞になる。
初めて観た(まさに清張作品にハマっていた頃)当時の、原作読んじゃ映画を観るという日々を送っていたなかでこの作品も当然ながら観たと思う。それ以来の二回目かな三回目かな。
・・これまで清張原作映画のなかであまり筆頭に挙げられることもなく、それほど知られてはいない作品として個人的にも世間的にもあったが、今回観直すに(you tube動画をみて、まず音楽がいいなと気づかされて急に観たくなり)、なんだ、けっこういいじゃないか、隠れた名作じゃないかと素直な感想。いろんな観点からけっこう惹きつけられたね。
とくにあらためて今回いいなと思った(買うまでにも至った)サントラのなかでも、メインテーマを聴くと、あれ?なんかどっかで(ちがう作品で)似たような、聴いたことあるようなメロディーにも、なんかと、いろいろ考え巡らせれば・・そうだと、映画『コキーユ』っぽいかな?と。しかも作品(作風)は違うが、両作品とも男にとっても女にとっても(どちらかといえば男による主人公より)ひと時の燃える恋、募る欲情ともいうのか、そして刹那的、相手ももぅこの世には居ないという切なさなど・・個人的にはこういう類にはどうも弱いようだ(グッとくる)。
「伊豆の踊子」と同じく、旅は道ずれとも云うなか、ひとりの思春期(成長期であり性長期とも云おうか、少年の年上女性に対する恋慕)の少年によるミステリー。滝をバックに吊り橋を渡る少年とハナのカットのなんと美しいこと。そしてその少年による(春画をみてドキッとなる時期)母やハナが男とのまぐわいによって汚されたと思われたことによる怒りや憎しみが動機となった。これは他の作品でいうと「影の車」などでの主人公の幼年期に海釣りの際に犯した感情にも通ずるものがあると思う。
あと、なにが今回観て当時との観方(捉え方)が変わったかというと、諸々あったんだが、大きく二つあって、(そのまえに主演の田中さんの艶ぶりは当時も今回も変わらずよかったね)スコア(劇伴)の印象と、もうひとつ、土工殺しの加害者被害者目線の変化があったかな。
初めてこの作品を観た時は映画じたい率直面白かったと思ったけど、『砂の器』や『ゼロの焦点』のようにテーマ曲など耳に脳裏に残ったほどの感動はなく、清張作品のなかでも正直『天城越え』といえば・・となっても頭の中で再生されないような記憶にも残ることはなかった。 それが今回観るに、劇中の要所要所に流れるスコアの美しかったこと。それでサントラを買うに至る。
二つ目としてそのスコア流れるなかでの(土工殺し)もあったりするが、若かった初めて原作読んで観た際には自分も少年目線(同情)のかんじで犯行に及んだ際の、なんと云うのか、悪人をやっつけるような、行為に対して比較的共感があったようにも覚えてる。 それが今回観る年齢からして(土工寄りの年齢になったことから?)共感の立場が逆転して、なんだか酷いなぁ~あまりにも土工のおっちゃんが哀れで可哀そうだと・・観てしまった(捉えてしまった)。田中さんの娼婦ハナにたいして何も悪いこともせず単に両者合意のもとのビジネスとして(ふっかけられて)商売成立してるだけに、そこでの思ってもいない凶行(襲われ)に土工にとってはまさにあまりにも不条理でトンだ事故にあった感。無念としか云いようがない。けっきょくこれがこの原作による最大の謎であって一言では説明しにくいものがある。
・・映画ってたしかに観る年代(年齢)によって変わることはよくよくあること。この作品もそのひとつかなと改めて実感。さらに観直して今回思うに個人的にも清張作品群のなかで評価が上がったこと。いやいやこの作品いいじゃないかとね。 映画も(本とおなじく)時期によって何が起こるか何が捉え方が変わるかわからないものがあるね。だから面白いもんなのかな?