哲哉と映画パンフレットについて・・

・・そもそもこのブログを立ち上げた時には(日々綴っている)夢日記を投稿(というかあくまで自分の為に残す記録データとして)をと考えていたのだが、それこそ「夢」というもの、毎日みる(覚えている)時もあれば二週間ちかく全然みない(覚えていない)こともあったりと。だからその(埋め合わせ)・・という訳ではなくとも、こんなんでいいかな?と考えた末、集めているつもりはないが自然と集まってしまった自分の所有する映画のパンフレットを通じて(だしに)覚醒時の日記として日々思いついたこと、パンフレットの作品の感想や思い出などを綴りながら幼少の頃からの記憶や好きなことと感動したことなどあれこれを夢日記と並行して書いてみることにしたんだね(自分の好きなことだし、なんの努力もいらないからすぐに始められることもあって)。下心的な紹介の意もあるが、所詮自分にとっての徒然を紛らわす日記のひとつでもあろうか・・と始めてみた。

博士の異常な愛情1

・・自分にとって映画パンフレットとは・・一言で云うとこれまでの人生においての「教科書」と云いたいね。教科書と云っても国語や算数のような学校で無理やり?勉強させられた際のテキストとは違い、歳を重ねても身についたり社会で生きていくうえでの教養(知識)となり、歴史、音楽、美術、文学などなどすべてが揃っていると思うビジュアルテキストとでも云おうか。

パンフ内に綴られてる物語や解説、エッセイといった文章だけでなく、劇中のハイライトシーンのスナップ、出演した美男美女たちのスチール、さらには作品に付随(関連)したもの(多彩な絵や写真など)の紹介まで情報は自然とふくらみ(劇場内で只で貰えるチラシとは圧倒的に情報量も違い目で楽しめ、文章を読んでも存分に楽しめる。有料といっても集まり始まった頃はパンフレット一冊300円から400円と普通でそんなに高価なものではなかったし。とはいえ、今では1000円ちかくも珍しくなく・・ちょっと高いね、年々上がってる?)、初めて知ることに「なるほど~」と感じさせられること多々あったりなど次から次へと興味が枝分かれするように広がっていく楽しみや喜びがある。または絵画の画集のようにペラペラめくりながらただ眺めているだけでも楽しめるものである。

正直、云ってみれば特に深い理由や理論はないのだが。まぁ、単純に映画を観たあと何十年経っていようとパンフレットを見るだけで思い出されるような証明(記念)アイテムのようなものかな。そういったことも含めてパンフレットの魅力でもあるかな。じゃなきゃ、わざわざお金出して買わないよね。

サイコ(改)1

・・そもそも思い返してみて映画パンフレットを知ったのはいつだったろうか?通ってた地元の映画館内ロビーで売られているのを見てからだったかな?初めて買ったパンフレットの作品はなんだったかな?・・もぅ遠い昔なので忘れてしまった(あれだったかな?という目星はついてるが)。

・・ただ、その‟パンフレット”という存在と、より親しくなるようになったことは記憶にハッキリと思い出される。

・・それはシネマショップの存在。当時(実家在住時)、テレビで毎週土曜日の夕方に放送されていたローカル番組内でのコーナーのひとつ「ローカルベスト10」というコーナー(ごく普通の一般人が紹介される、いかにもローカルちっくなもの)で、自分がその時なにげに放送を観た限りでは1,2週にわたってベスト10入りしてた(Y町のシネマショップ店長)というのを観て、「なんだ?シネマショップって?」という当時はポカンとして観てたのだが、後日、気になったので電車に乗ってその店に行くことにした(よほど気になったんだなぁ、~というか、これも人生においての流れだった?)。ゴミゴミした街中の雑居ビルの狭い階段を2~3F上がり、狭い店舗で構えられていたそのシネマショップに入る。するともぅそこは壁中のポスターに棚には何百何千のチラシやパンフレットの山。どっぷり映画のお宝世界。自分は大興奮。時間も忘れて俳優別から監督別から年代別からいろいろあれこれ見たりしたもんだったね(結局、それから何年後かにお店が閉店するまで2~3度通ったかな)。それがパンフレットとの付き合いはじめだったかな。

・・で、数ある映画グッズのなかで自分はなんでパンフレットにこだわったのか?改めて映画パンフレットの魅力とはなんだろう?とちょっと考えてみる(までもないかな)。まずは誰もが思う皆と同じく映画を観たという証明(記念)アイテムというのがまず思われる(何年、何十年後にもパンフを開くと記憶や当時の感動が思い出されたりするのは事実)。では思い出グッズとしてなんでチラシやポスターではなくパンフレットなのか?やっぱり情報量といったとこかな。一枚絵としてのポスターや、表裏のみのペラのチラシとは違い、パンフレットはそれこそポスターのような(作品によってはポスターと同じ)デザインされた表紙から、チラシに掲載されている簡単なスタッフ、キャスト紹介だけとは違い、写真付きの俳優、監督の紹介や履歴から、さらに映画についてより深く知る上での解説、物語、そして著名人によるエッセイなど盛りだくさん。まさに作品についてギッシリ情報の詰まったプチビジュアル本のようなもの。そんなとこが見たり読んだりしてのパンフレットの魅力といったとこだよね。

・・それから(いつだったから?)というもの、劇場で映画を観た折には必ずと云っていいほどパンフを買ってたね。当時はまだパンフ一冊300円や400円の時代、二本立てを観ても(地元の映画館ではたいてい二本立てだった)二冊買っても1000円しない(それが今や一冊1000円するのも珍しくないよね。ちょっと高いよね)。ということで親から貰ってたおこずかいは映画入場料とパンフ代の2000円ちかくは貰ってたりしたことか。今、思い返すと本当にありがたく感謝というか、思い出されるものがある。その後もパンフレットは学生時代までは映画館で観た作品は、ほぼ100%に近いくらい買ってたと思う。のちに、成人してから(社会人になってから)はよっぽど気に入った(感動、衝撃など)ものしか買わなくなったがね(経済的理由というより、そこまで買うことにこだわらなくなってしまったから)。

(話は前後するが)レンタルビデオ店というものが世に出てきてからはビデオ(今ではDVD)を観て気に入りシネマショップへパンフを買いに行ったりなどしてたね(その行動は今現在にも至ってるかも)。ということで、本来なら映画館で映画を観てパンフを買うのが普通だったのが、今では先にパンフを買ってから(古書店やシネマショップで見つけたりするレアなパンフなどが激安で売られてたり、パンフレット化されていたことじたい知らなく思わず買ったりなど)のちにDVDなどで映画を観るということも普通となっている。これも縁であろうか?それまで興味のなかった映画をパンフキッカケで初めて観ることによって「・・こんな映画だったんだ・・」など感動したり、遅ればせながら好きになったりなどいろんな要素を知るキッカケにもなるのであろうかな・・

三本足のアロー(改)1

・・さて(また話は前後するが)、‟シネマショップ”というものを知ってからは(好んでパンフレットを買うようになってからは)当時は「スクリーン」や「ロードショウ」「キネ旬」などの映画雑誌に載ってた通信販売の欄にも目を向けカタログを取り寄せたりしてたかな(思いつくだけでも映通社、バートビーリビングストン、赤坂シネマテイクなど。どこだったか?自分の所有するパンフと交換するシステムの会社もあったよね、自分はしなかったけど)切手を送料分同封して送り、もらったカタログにはギッシリと作品名などが書かれてあり、それを眺めているだけでも(欲しいな~と思いふけりながら)一日中過ごせたね。実際は通販ではあまり購入した記憶がない。送料もかかるし、地元の通ってたシネマショップで事足りていたから。

・・そして社会人となって東京に出てくると(と、その前に、既に学生時代には夏休み冬休みにはバスに乗って泊まり込みで映画のイベント兼シネマショップに行ってたものだった)、休日を利用してあちこちあったシネマショップには本当に興奮したものだった。

・・思い起こすと、まずは池袋の文芸座しねぶっていく(‟三本足のアロー”や‟青葉学園物語”のパンフをみつけた時には全身震えるほどの喜びで感動したものだった)、赤坂シネマテイク、渋谷にあったシネマショップ(不愛想と思えるような寡黙な店主が印象的だったかな)、歌舞伎町にあったシネマブティック鷹(こちらはにぎやかな店主のおばちゃんだったかな)、そして今では店舗販売してないがその頃は店舗構えてた三軒茶屋との映通社などなど通ったものだった。本当に東京はすごいなぁとウキウキワクワクだったね。

・・そんなシネマショップ(あくまでも店舗販売)という存在も今では数少なくなったかな(ネットによる通信販売が増えたこともあろう)。だから映画グッズにチカラを入れた古書店などに頼るようになっている現在を思うと(当時を知るだけに)ちょっとした寂しさがあるね。

ある日1

・・ここまでいろいろと書いてきてちょっと云いたいことは、収集(コレクション)している実感はそれほど自分にはないこと。ブログの項目のなかにもたしかに‟マイコレクション”などあるのだが、集めようとしているのではなく集まってしまったという言い訳じみたこと(身内の者は「どうするの?」と飽きられている)。

・・それはどういうことか。・・つまりは数(冊数)ではないから・・。

たしかにこれまでの(現在も進行中だが)集まったパンフを一冊一冊数えたこともなく実際何冊所有してるのだか判らないが(ざっとアバウトで三千冊くらい?もっとかな?)世の中には何万冊と所有してる人も多分いることであろうし(特に自分も競争してる気もサラサラないし)、本当の意味で自分が感動した作品のものや興味のあったりしたものだけが集まったということなので、これからもどんどん増やしていこうという気はなく(とはいえ増えることで保管するスペース的に困ったりなどエライことになってるのは欠点である)身の丈にあった無理しない程度で(これについてはパワーストーンと共通するものがある。無理して高価なものは買わないという点で。)あれこれ探したり買ったりしているものである。あくまで趣味としてね。

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・・ここでちょっと日常的あるあるを含め思いつくままを何点か挙げてみる。

① 古書店や古書市などで売られているパンフのなかでも偶にパンフの表紙や裏に(観に行った日の記念だろう)直接ボールペンなどで「s35.1.18」(月日)大きく書かれたりしてるものなどあるよね。同じ種類で他にも売られてるものがあればいいが、それ一点しかない場合仕方なく買ったりすることもある。たしかに前の持ち主にとっては観た記念となろうが巡りめぐって自分のもとにくるもんなら(きたって)なんの思い出も記念もない。消せないしモヤモヤ感はあるね。

② ①と同じようなもので、これまた表紙などに大きく監督やら出演者らのサインがいくつも書かれているものが売られているのを見かけたりする(基本自分はまず買わない)。しかも小説などのサイン付きのようにプレミアがついてたりなど。そりゃ、前の持ち主だか直接作家に「サイン下さい」ってもらったなら記念も思い出も残るでしょうに(本もしかり)。ただそれが普通に(サイン付き)として売られている。自分にはなんの思い出もじかにもらったということもなく、ただ、地の表紙絵も見えなくなるほどに誰が誰だかわからない書きなぐったペンの字があるのにはなんの価値もあるとは思えない。こんなパンフにも購買欲が下がるよね。

③ 一部というか、いくつかの古書店さんあてにというかね、クレームというか苦情というほどでもないんだがね・・見開きに値札を糊でベッタリつけている場合があったりして(会計の際は半分ちぎる)家に持って帰り値札を取ろうもんなら必ずといっていいほどベりべりメリメリ周りの部分も含めて破れてしまう(さまも悪い)。もうちょっとアレなんとかならないかな?

④ 数年前までは某古書チェーンでもパンフを取り扱う店舗もチラホラあったんだが、最近はめっきり見られないよね。単に需要がないだけ?さみしいよね。それこそ当時はその某古書チェーンさん様様じゃなかったけど(良い意味で専門店でなく価値的にはわからなかっただろうからね)「え!?これ、100円!?」って、長年見ることの無かった欲しかったものが普通に100円で売られてたりと(相場として3000~5000円するようなモノも)、そんな仰天機会も今ではなく・・なんでなくなっちゃったの?それで昨今ではあちこちの古書店などでの店頭100円均一などで売られているもののなかにタマァ~にだが掘り出し物があったりするけど、ワクワクする時のひとつかな。

⑤ 好きな作品や希少なものが安価で売られてたりしたら2冊目3冊目とついつい買ってしまう(逆に今ここで買わないと勿体ない勿体ないという変な感情がうまれる)。これについては自分でもよろしくないアルアルのひとつとして。

⑥ これはあるあるでなく、あくまで個人的とらえ。パンフマニア(自分はマニアとは思ってない)にとって昭和期などの館名付きがプレミアついてたり「良い」など云われてたりもあるが、自分はそぅとらえてなく逆に無い方を好む。サインと同じくその館で観たわけでもないパンフ(「新宿プラザ」や「有楽座」などね)に思い出もないしね。別のモノとして「シネマライズ」や「シネセゾン」などもあったりしたがそれはしょうがないとして、今やシネコン文化となってたしかに館名もなくなったけどね。ただ反面昨今のパンフのデザインが(今風が)昭和期のパンフにくらべてつまらなさが感じられる。

・・等々いろいろ云いつつも、やっぱりパンフは世界でも稀な日本独自の今でも続いてる文化のひとつ。有形文化財だね。広めたいともアピールしたいとも別に無いんだがね。

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・・さて、上記のとおり日々こうして綴り続け(苦労なく努力なく自然と続いてる日課として)まずは自分の為としてのデータ保存として残してるんだが、もしこれを他の人が見ようもんなら「題名のない音楽会」のごとく「履歴書のいらない自己紹介」とでもなろうか。

これまで生きてきて何を欲し、何を読んできて、何を観てきて、何を好み何を嫌い、どう思うのか・・堅ぐるしい(日常的普段から思ってもいないようなことをカッコつけて記入するような)履歴書とはちがい嘘偽りない正直に思いつくまま綴ってきたことをみて下さいと、もしかしたら人物像を判断してもらうにはいいかもしれないなんて思うね。

・・ましてや夢の方(夢日記)といえば日常的態度として表にあらわれる顕在意識としてではなく本当の(本心と云えるかの)潜在意識からの思い、考え、行ないなどの表れなので良いも悪いもより哲哉像のわかるモノなんじゃないかな(たしかに年々その時その時の多少の変化はあるがね)。そもそも良いも悪いもないんだよね。どう捉えるのは個々の判断だし、嫌なら嫌で単に合わない(縁がない)というだけだしね。 そういうことを思ったりするとたしかに資料的には多いかもしれないが参考にはなるだろうね。「あなたの自己PRをおねがいします」と云われたら、「哲哉の夢日記」をみて下さい・・か? 現実ではできることではないが名刺代わりにはなろうかな。

・・だれの為でもない(いや、自分の為か)。だって日記なんだから。つぶやきなんだから。他人にどう思われようが知ったこっちゃない。見られる側のことなんて気にしちゃいない。いかに読んでもらえる為ではなく単に思ったことを素直に綴る(吐き出す)ことだからね。

・・世の中、あらゆるところでは承認欲求がつきまとってる。がんばって他人によく見られたいと思えば思うほど疲れちゃうしね。 どう思われたっていいじゃないかと、そぅ思うんだからと、というか広く発信してないしね・・。

・・こんなこと懲りもせずいつまで続くやらね・・。