(書籍)(アメリカ横断ウルトラクイズ)『第3回アメリカ横断ウルトラクイズ』

アメリカ横断ウルトラクイズ3-1
アメリカ横断ウルトラクイズ3-2

  『第3回アメリカ横断ウルトラクイズ』(1979年)日本テレビ出版

  クイズ王(宗田利八郎) 

  優勝賞品(競走馬「サウザント・プランタン号」「千春号」)

 (メインテーマ曲)「スタートレックのテーマ」メイナード・ファーガソン

・・さて、第3回ウルトラクイズ。1、2回の大会は当時まだ自分も小さかったからか(家族の他の誰かにチャンネルを変えられたか)、観てない週もあったりしてややウロ覚えだったのだが、この第3回大会から本格的に欠かさず毎週観だした大会として記憶する。なのでそれだけ出場者(参加者)に対しての思い入れも出てきて応援するようになったりと・・。

・・優勝者はブッチャーこと宗田利八郎さん。当時観てた頃はブッチャーさんをかなりな年配者として(大人びいて)観てたのだが、いざ自分も歳をとって何十年かぶりに観たりすると宗田さんも当時まだ全然若いのである(29歳だった)。なのでか、まだ独身で若かったブッチャーさん、憎いのが優勝商品の競走馬の名前を「サウザントプランタン号」として最後の女性参加者(ヒューストンで負けたマスコットガール的女性だった)の名前をつけたという。さすがに当時子供ながら観てて自分もちょっと下心を感じたりした記憶も。ただ、これも優勝者として嫌味に思えない特権もあろうことなのか、覇者はなにしても許されるものかな?

・・チェックポイント、罰ゲームの思い入れとしては、グランドキャニオンでの絶景地でのクイズや、マイアミでタイヤを引いた体力クイズなどあったなか、サンアントニオでの罰ゲームでの激辛”ハルピニオン”を食す罰ゲームに楽しく観たものだったね。

・・この大会からだよね。ウルトラクイズのテーマ曲がメイナード・ファーガソンの「スタートレックのテーマ」になったのは。もう、この曲もウルトラの顔となったよね。

・・他の(ひとけたの)大会も特にそうなのだが、まだ当時大学のクイズ研究会の参加者もあまり見られなかった為か、社会人メインでキャラクターにも富んでて本当に面白かったよね。

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~今日からファミリー劇場で第12回、第11回に続いて第7回の大会(たぶん一番好きな大会というか回数を観ていて思い入れがある)が放映される。と、ところで今後全大会やるのかな?・・と、ちょっと余談・・~

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・・ウルトラクイズの提供といえば、片岡物産やデサントがまず挙げられるけど、何年経ってもどんな会社だか判らなかったし・・

・・3回大会のなかでも印象に残った屈指のチェックポイントグランドキャニオン。ここでクイズなんかやるかぁ~と普通に思われる地でもウルトラだったらやるんだ。当時幼かった自分も地理の勉強じゃないがこのクイズを観て初めてこの地を知ったね。

・・印象に残った罰ゲームのひとつハルペニヨン。

・・第3回大会のマドンナ宮村千春さん敗退の瞬間、慰めるブッチャー。これぞ一緒に旅をしてきた参加者たちによる親睦、絆、仲間意識が生まれる感動をよぶウルトラならではのドキュメンタリーシーン。

・・マイアミでのタイヤ・タイヤード・リタイアクイズ。憎いくらいのスタッフの考えたゲーム名。

 

・・準決勝ワシントン。グランドキャニオンに同じく、よくこんなとこでクイズができた(可能にできた)もんだと。

・・その準決勝地での罰ゲーム、日米親善ゴミ拾い。

・・優勝賞品の競走馬、名前も3回大会のマドンナの名をとっての千春号。みごとにレースで優勝して配当金をもらったらしいが、それほど多くはなかったらしく(第14回大会での牛糞カジノ同様それほど利益のなかった)ウルトラ的には、まぁ、あるあるもの。テレビでは千春号としか云ってなかったけど本では「サウザント・プランタン号」と。当時から今にいたるまで自分は調べたりすることなかったんだが、ふたりの仲はどうなったんだろうね(年の差はちょっとあって、どちらかというと兄妹のような睦まじいように見えたけどね。やはり各大会にはマドンナ的キャラクターは欠かすことはできないね。

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