(書籍)(アメリカ横断ウルトラクイズ)『第4回アメリカ横断ウルトラクイズ』

アメリカ横断ウルトラクイズ4-1
アメリカ横断ウルトラクイズ4-2

 『第4回アメリカ横断ウルトラクイズ』(1980年)日本テレビ出版

  クイズ王(上田由美) 

  優勝賞品(自分で組み立てなければならない小型飛行機)

・・この大会も記憶に残るもののひとつで優勝は”ハチマキ娘”こと上田由美さん。優勝商品の自作飛行機「スピリッツ・オブ・イチカワ」の飛行はされたか?なにで知ったかは忘れたが、その後上田さん(旧姓)は飛行機に関するも関するスチュワーデスになったというらしい。ジャンケンで、もしハチマキを貰わなかったらとかよく思われたと思うがやはり無くても実力がすべてだったんだろう。

ただこの大会で自分が一番応援してたのは準優勝の松澤典子さんだった。理由は単にアイドル視する感じのキャラクターとして。決勝で敗れてパンナムビル屋上の階段をひとり荷物を引いて去っていくあの姿は大会史上もっとも寂しい光景のひとつとして自分としては挙げる。

・・と、なにが可哀想かって、各大会の準優勝者はクイズに負けて悔しいわ、罰ゲームもないわで一番中途半端じゃないかと思うね。罰ゲームしたことによってより記憶に残ることや罰ゲームでないと体験できないようなことを各大会は用意されてるので逆に罰ゲームを受ける方が参加者にとってはありがたかったのではと個人的には思うものも。この大会でもサンフランシスコでの罰ゲームで、あのアルカトラズ刑務所(使われていた)に一泊という、普通では一般の人には経験することのできないことのように負けたことによって体験できたなどのようなことも(後日第5回大会の際にも書くと思うが”闘牛”もあったよね)あるからね。

・・他にこの大会での記憶を思い起こすと、イエローストーンで敗れた優勝候補のひとりだった永田さんが悔しさに号泣した際には子供ながら観てた自分にとってはちょっと引いた感じだったけか。あとはアルバカーキで敗れた”中谷のおっちゃん”も個性的で面白かったね。

・・とまぁ、この4回大会もそうだし、とくに一桁の大会までは大学のクイズ研究会の参加者もそれほどなく30代や40代のお母さんからおっちゃんまで純粋に大人たちの大会で観てて面白かった。応援のしがいもあった。実力もそうだが、偏りもなく、運も必要など、あらゆる面でバラエティーに富んで面白かったなぁ~と、個人的感想。

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・・第4回大会のなかでの名場面のなかのひとつ。いや、ウルトラ史上のなかの名場面のひとつと云っても過言じゃないな。リアルタイムで観てて最初は「何だこの人は?」「わがままな・・」感を正直子供ながら思ってた。まさかドラマのように一番目立ってたハチマキ娘がチャンピオンになろうとはと、この時点ではまったく思ってもいなかったがね。負けた対戦者の男性もいい人で、ジャンケンで負けた人であっても記憶に残るひとりとなってるね。

 

・・この大会からウルトラ恒例のクイズとなった「泥んこクイズ」。その初めての挑戦者であり同時に初めて泥んこプールに落ちた挑戦者が第2回大会クイズ王の北川さん。こういうどっちともつかないゲームで落ちたおかげ(或る意味良い意味で)で、二大会にわたるチャンピオンを免れたと云ってもよかろうね。5回大会でもハワイでの OXクイズで3回クイズ王ブッチャーこと宗田さんが落ちたが、両者とももし通過してたらまた結構大陸の遠方まで(もしやニューヨークまでも?)行ってただろうね。それがウルトラの調整とれたり面白いとこじゃないかな。

 

・・ちょっとここで当時から気になってた「これいる?」って思ってたコンピュータールームによる敗者予想。他の大会では小林アナも担当してたね。当時はたしかに誰が落ちるのかな?など真面目に観てたけど、あらためて観るとこれって番組の演出上そんなに重要なものだったかなと。すでに編集されて放送の段階ではチャンピオンもきまってる秋で、リアルタイムでもないので予想もなにも決まってる。このあたりが当時からなにか子供ながらにしっくりきてなかったね。

 

・・ウルトラならではのチェックポイントであり今大会の本の表紙にもなってるイエローストーン国立公園。その吹き上がる間欠泉。日本でいう別府や草津のようなとこかな。それにしてもアメリカ規模の大迫力だ。

 

・・ニューオリンズでのタッチダウンクイズ。クイズ内容や罰ゲーム云々よりもここで当時子供ながらショックだったのは、ここで男性挑戦者がいなくなったこと。毎大会必ず男性がチャンピオンになるもんだ・・までは思ってなかったにしても、いざ決勝や準決どころかその前のチェックポイントで男性が全滅するとは前も後の大会もなく異例な展開に驚きや情けなさがあったなぁ。

 

・・決勝戦のニューヨークで敗れた準優勝者松澤さんのさみしく悲しい後ろ姿。またそれを助長するようにバックにかかってたBGMもなんて悲しかったこと。毎大会そうだけど決勝で負けるほどさみしく悲しく悔しいものはないよね。目の前でチャンピオンの祝福を見守る屈辱と、かといって敗れたお土産となる罰ゲームもなし。なんか中途半端だよね。

 

・・ただ、利点としては(罰ゲームのないかわりの)スタジオでチャンピオン、その親族に加えて呼ばれることが毎大会あったよね。ふつうに考えれば一般人なんだが、チャンピオンはじめスタジオに集まった上位者たちを観るとまるで芸能人かのようなスター性が感じられたよね。そして準優勝者の松澤さんもアイドル的初々しさのある輝きがホントにあった(自分も思うウルトラ史上一番のヒロインだと)。

 

・・第4回大会もフィナーレをかざるエンドテロップ時の優勝賞品と同じタイプの飛行機。チャンピオンの上田さん(旧姓)の命名された「スピリット・オブ・イチカワ」。そして毎度おなじみオチとしての自作しての商品。ただ、商品がすべてじゃないんだよね。観てたこちらが思うくらいだから本人たちがどれだけ人生においてもなかなか体験できない3週間が一番の記憶であり思い出であり本当の意味での商品となったんだろうなぁ~なんて他人事ながらに思うウルトラファンのつぶやきとなってしまった。

 

・・番組終了時に告知された抽選で当たる大会本の紹介。当時ビデオも無かったんで咄嗟に宛先やら裏に書くものなどメモした記憶がある。もぅそれは欲しくて欲しくて。たしかハガキ10枚くらい(成人してなかったんで親に買ってもらったかな)書いて投函したと思う。どれくらいの倍率だったか当時も今も知らないが、まぁ、ハズレるはね。発送をもってと云ってたからその後も期待して来る日も来る日も待ってたこと。ハズレを確信してガッカリ感大きかったけど(当時非売品のようなハズレたらもう手に入らないものだと思ってた)まさかその後普通の書店に販売されてるのを店頭で見た時にはカッと頭に急激に血が上るほどビックリ興奮に、最初は立ち読みしつつ、一気にではないながら期間をおいて一冊一冊買ったものだったね(その後は毎大会終わるごとに販売されてて買ってたかな)。

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