(映画パンフレット)『キムズビデオ』

  ドキュメンタリー映画。 アシュレイ・セイビン、デイヴィッド・レッドモン監督作品『キムズビデオ』(2023)

  原題「Kim’s Video」

  (出演)キム・ヨンマン

  (音楽)エンリコ・ティロッタ

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・・公開目前の劇場予告やネットでの映画情報などで初めて店の存在を知った。もう自分のような世代的のもドップリ(ど真ん中)にレンタルビデオの存在してた世界(或る意味一時期の短くも栄華の頃)に浸っていた者にとっては内容からも含め映画館に足が向かったのも当然のこったろう。

  映画を観て衝撃受けたとか感動したというよりは(ふつうに面白かったけど)アッサリとこういうことがあったんだぁ~ってかんじだったね。フィクション性も多く感じたこともあって、どこからどこまでが事実でどっからが今回の映画用として設けて撮影したかなどいろいろ思うこともあったしね。

 とはいえ今回映画を観ての感想云々じゃなくて、観ながら、そして観終わっての追想?というのか、募る思い出、記憶、充実した楽しかった日々がめくるめく頭に湧いたんだなぁ。「あの時~したなぁ~」「あんなことあった」「こんなことあった」など若き日のワクワク(なんの苦労なく)してたのが蘇ったんだよね。 そんなこと思うと映画を観てよかった。 以下は長々と綴ってしまうがあくまでも自分のための追想まずありき。自分で選んだ人生のシナリオのなかでの少年から青年、社会人になって東奔西走してた頃の第?章だかわからんが、そんな時もあったと回想してみようかと。それこそブログ形式のような綴り以上にエッセイほどの分量にもなってしまうかも。

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・・もぅこのご時世となって、なかなかできることもなくなってしまったが、DVDやビデオなどレンタル棚に並べられているパッケージなどを一つ一つ手にとって吟味しつつ品定めするあの時の愉しみと喜び。「借りてみようかな」「そういう映画だったんだ」「この表のレイアウト恰好いいね」・・と、これ、なにかと同じだ。考えるまでもない、現在もライフワークとして日々の古書店での品定めと同じワクワク感だよね。 この時間を忘れて店内にいつまでも居られる至福の時間。古書では(普段新刊書店には行かないので、本は本でも日頃は古書店に限る)ペラペラとページをめくって中身を見たりして、と、それ以前に並べられてる背表紙のタイトルをみて「あっ!」と、長年探していた本だというめぐり合わせの仰天と喜びの数々。そういった古書巡り(漁り)なんかもひと昔前には<レンタルビデオ店>というまた違った世界に浸ってたライフワークもあったんだなぁ~と今回の映画を観て懐かしんだね(思い出されるものがあったね)。 ・・やっぱり映画が好きなんだということで、それこそ当然のごとくなのか、自然と(まぁ、それも人生においての、自分で決めたブループリントのなかでの流れのひとつだったのかと)学生時に3年間だかバイトこともあった。ちょっとした憧れもあったよね。正直云ってギャラはどうでもよく仕事としてビデオの壁々のなかに埋もれ居られるだけでウキウキしてたなぁ。 努力することもなく、なんの苦労もなく、在庫の有無からどの作品がどのあたりに置かれてあるかなど憶えていて、お客さんに聞かれるや、それこそコンシェルジュのように時間もかけずサッとその場所へ「こちらでございます」じゃぁないが案内したりなど・・自分で(自分に対して)「仕事してるね~」など誇っていたもんだったね。 またそれとは別に当時(当然ながら)店内にはもぅ半分のスペースにレンタルCDもあったんだが、なにぶん自分は幼少の頃から歌謡曲やら邦楽洋楽聞かなかったし、ジャンル分けあれど、さすがにそっちは何処かな?と毎度苦労したもんだったね。なおかつとくに覚えようという気もなかった。客に聞かれてもわからないのでいちいちスタッフ仲間に聞いてたね。 

・・今のご時世、なんでもかんでも配信となってる。べつにそれがいけないとも嫌だとケチつけるわけではないが、あの頃のレンタルビデオ店と配信のシステムではじっさいのところ、なにが違うのか?ちょっと考えてみる。

  じっさいモノ(パッケージ)を手にとって見るということがあるかないかがまず大きな違いとしてあるよね。たしかに配信も(ネット情報からも)どんな映画(ドラマ)なのかもわかるんだが、流される映像や写真のみを目で追うしかない。一方、レンタルビデオ店(さらにもっと昔だとレンタルレコード店もあったよね、自分も何度か利用した、さらにはレーザーディスクなんかも)に入っての品定めというと2時間も3時間あってもまったく飽きない(半日もふつうに居られるもんだった)、たとえ一本も借りずともその日その日入荷したばかりの新作作品をみて情報を知り、次来た時借りようかなど、さらには借りずとも往年の名作について(パッケージ裏の説明文を読んだり)等々、まさに時間を忘れる(一心不乱?ゾーンに入ってた?)もんだった。

・・映画でのキムズビデオ店の5万5千本の数にはもちろん及ばないが小さいながらも様々な店(各店ごとに特色があった)に通ったりした思い出もあったこともふと思い出される。初めて自分がレンタルビデオの世界(あっと、ちなみに以前にもどこかの項目で綴ったかもしれないが)に染まった、知った、出会ったのは、まだ実家に暮らしてたころ、小、中学生くらいだったかな。家からは歩いてはいけない車で30分くらいの大型ショッピングセンター内の家電売り場の片隅に突如としてあらわれたコーナーだったこと記憶する。数的には全部で数十本くらいで、映画が家でも観られるという革新的なものだったと。ちなみに間隔あけてパッケージを表向きに置かれてて、印象的だったのは黒枠のワーナーのビデオが目立ってたようなと、マッドマックスシリーズやイーストウッドの映画など厚いパッケージが置かれてたよね。他にもtoshibaの白いプラスチックパッケージのグチャグチャの血まみれのゾンビの顔アップの「死霊のはらわた」もあって気色悪い思いもあったね。後日いや後年クラスメイトといっしょにお金を出し合って「はらわた」を借りて観たんだが、まだ今ほど見慣れた免疫もなかったんで仰天したもんだったね。そのせいもあってトラウマほどではないにしても以後他作品などでtoshibaの作品を借りたりして本編始まる前の会社のタイトルロゴが出るだけでも「はらわた」が思い出されたりしてゾクゾクしてたこともあったりなど。 そしてレンタル期間と料金は当時は7泊8日はまだ無くて当日、一泊二日、最長で二泊三日じゃなかったかな。それで1000円、1500円、2000円くらいしてたと記憶する。またウソ偽りなく綴ると、あの当為思春期だったにもかかわらず、当為からコーナーの隅などに置かれていたアダルトも目に入ってたけど関心なかったなぁ~、というか、純真な映画好き少年だったのか、大人のみの禁断の世界としてみてたね、行ってはいけない場所だと、たぶん性欲がなかったわけじゃないと思うが(いや、野球してばっかりいて色恋に関しては興味なかったまだ子供だったかな)それから数年経っての青年となるくらいまでアダルトの世界に関しては無関心だったね。

・・あの頃、年中野球に明け暮れつつも同時に映画も好きだったんでいろんなこともしたもんだ。或る時なんぞは、そんなに親しい仲でもなかった他のクラスの XX 君(顔は思い出されるが名前は忘れた)と、ふとしたことから知り合うと彼の持ってたビデオデッキを自転車に積んで自分の家まで運ぶとさっそくケーブルでつないでダビング(あの時はジャッキーの「ポリスストーリー」や「五福星」など何度も苦心を重ねた結果(音が出なかったり映像が出なかったり)したもんだったなぁ~と。だからか、何度も目にしたという記憶から「ポリス」のオープニングが当時と今での放映や配信での冒頭部分と違うこと、「五福星」や「スパルタン」での歌が変わってることなど、あれ?と残念に思うこともあるんだよね。

・・さて、社会人となって上京するとパンフレット漁りに都内のあちこちにあったシネショップを巡り回ってたのと同時に個性あるなかなか観ることのできないソフトなど置かれている店にも会員になって借りたりしたこと懐かしい(よくあんだけ歩き回ったな~と、でも疲れも苦労もなく終始ワクワクだったけどね)。最近になっては渋谷SUTAYAでのレンタルDVDというよりビデオ(発掘良品として)の方メインに通ってた。CSでも放映されることもなくDVD化もされてないレアな作品を一週間で5本単位で借りたりしていろんな珍しいのも観たりしたけどね~・・、それが自分の記憶でいうと数年の短期間での思い出となったのだが、なくなってしまったのは相当ショックだったよね。まさに今回の映画「キムズビデオ」じゃないが、大量のあのVHSビデオなどどうすんだよ?など思うこともあったし、というか、どこにいったのか気にもなるし。今からでも遅くない、復活してくれないかな? 

・・とまぁ、毎時の夢をみた(目覚め時の)走り書きのように映画『キムズビデオ』を観てから思い出すままに綴ってみた。そんだけ自分にとって今回この映画を観たことの意義は大きいと思う。それくらい若かりし頃の自分に大きすぎる影響を与えた文化、世界、娯楽、生きがい、ライフワーク出会ったんだなと回想してみた。