(映画パンフレット) 『LOVE 3D』

LOVE3D1
LOVE3D2
LOVE3D3

  ギャスパー・ノエ脚本、監督作品『LOVE 3D』(2015年)

  原題「Love」

 (出演)カール・グルスマン、アオミ・ムヨック、クララ・クリスティン、フアン・サーヴェドラ、ヴァンサン・マラヴァル、

・・ほんとに賛否のわかれる監督だこと。自分は初期作品『カルネ』の頃からのファンで問題作『アレックス』も含めて大体みんなノエ作品は好きだな。 

そもそも映画って非日常(体験)を味わうもの。その一番典型的要素にあたる暴力とエロスを皆この監督作品はもってる訳でもぅこれは観ないわけにはいかない。観てもいないのに(観た後でも)過激さなどに云々批判する人も多くいるけど、合わないと思ったら批判する前に観なければいいこと。

・・さて映画『LOVE 3D』。性器のボカシについては日本で観る以上これはしょうがない。ではくっきりと接合される局部をまじまじと観たいのか?というと、そうではなく作品の(監督の)意図にそぐわず、あんなにボケボケにされるとなんだかギャグのようにも観えてしまう。

とまぁツッコミをまず入れたが、しかし仕事とはいえ俳優さんらもよくやった。今の日本映画でどれだけの人ができるだろうか?過去には『白日夢』の佐藤慶さんや、『愛のコリーダ』の藤竜也さんらが堂々とやったと記憶にあるが。それよりもどれだけの人がいるかよりもこういった作品が昨今の日本映画にはないよな。

ちょっと脱線したが、この作品のトップシーンから高尚なジムノペディ3番(オーケストラ調)が流れるなか主人公たちの交わりが延々と続くのを観て正直なツッコミ「あれ?ラース・フォントリアー映画だなぁ・・」など思わずつぶやいたり。

映画は非日常を味わうものと上記で書いたが、けっきょくこの映画、ふたを開ければ或るカップルのやりたい放題の(まさに人間以前に動物のごとく)日常と、別れという他人からみればどうだっていい話。それを観客である我々が延々と見せつけられているようなもの。ただ、ギャスパー・ノエ作品、普通のドラマとは違う。線が振り切ってる。今回暴力沙汰(殺人など)ふくめ過激なシーンは無かったが、映画全編になにか異様さ反普通さがあって、その雰囲気、余韻を観てるだけでもう自分は満足。

とにかく”男女の性の交わりもの(ジャンル)映画”としては、鑑賞後の衝撃具合で云うとこれまでに観た「ニンフォマニアック」「愛のコリーダ」「ラストタンゴ・イン・パリ」を超えたんじゃないかなと思ったり。

いつかもう一回大きなスクリーンで観てみたいね。

ほんとに毎度ギャスパー・ノエ作品には期待を裏切らないものがあるよね。

 

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA