Updated on 10月 18, 2019
(映画パンフレット)『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』
押井守監督作品『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』(1984)
・・『パトレイバー』『攻殻機動隊』よりも実写っぽく思える。いちがいにこの作品を夢モノとして括るのはどうかと思ってしまうほどの哲学的作品。(風鈴のシーン)のポエティックさはATG映画を(実相寺監督のような)観てるよう。
・・時間もカレンダーもいらないし、気にしない・・・今現在そんな生活しているような自分。
・・星勝さんのスコア、エンディング歌の「愛はブーメラン」を耳にするたび自分も80年代にタイムスリップする。懐かしい。
・・この頃だけなのか、今でもそうなのか、押井監督は夢に関して興味があるんだね。テレビシリーズのなかの一話でも主人公のお母さんが主役で夢モノの作品もあったよね。題名忘れたけどヒトに薦められて観てシュールさに何度も観た(夢に関して興味なかった頃だったか)。夢と現実の繰り返しというテーマ。
・・さて、映画のテーマとなった文化祭の前日譚として自分も思い返してみるとひとつ、高一時の文化祭前日での忘れることなくよく憶えているのがある。自分の為にも、忘れないうちにもここで記すとしようか・・。
或る使ってなかった教室をパーテーションで区切ってふた二つのクラブ活動の発表の場として設けられ前々日と前日の二日間、授業後にみっちりと準備に取り掛かり(一年だった自分たちで創設した先輩も後輩もないサークル)、大きな紙に文章を書いたレポートを壁に貼る作業はすぐに終わったのだが、さらに中央のスペースにジオラマ模型(取材先の地形をリアルに再現した見栄えもいいもの)をつくるのに時間がかかるなか・・前日では隣の仕切られたもうひとつの部屋には写真部の部屋として当時三年生だった女先輩の部長と副部長の二人で準備(作品のパネルのはりつけ)をしていたようだった。こちらは部長の自分と副部長のY君。パーテーションはきっちりと部屋を区切るように置かれていたので隣を覗こうにも簡単には見られない(強いて言えば膝下部分がスカスカに空いてるので見ようと思えばしゃがんで覗こうと思えば覗けたのだが)。そして夜の8時9時10時と両クラブもけっこう準備に時間かかるなかで、隣の写真部の二人もキャーキャー云わずひっそりとコソコソボソボソ聞こえたりも。そうしたお互い作業していくなかで自然と声主の顔もわからないままの2対2の健全な会話のやりとりをしたのだった。「・・大変?」「今、なにやってるの?」「・・僕ら今年つくったサークルです・・一年です・・」「私たちは写真部」・・たわいのない会話だが話してて気持ちが良い。ゾクゾクしたものだった。ゴトゴトとパーテーションに飾られている最中であろう音と振動がこちらにも伝わってきて自分はなんだか興奮したものだった。それこそ、この準備しながら隣の部屋どおしのなんてことない会話がいつまでも続いたらいいなぁなど思ったものだった。そして別れ際(準備も終わったりしてヒトによっては終電もあるので)先に隣の三年生の写真部の先輩らが帰り際に「・・じゃぁ私たち先に・・」とこちらの部屋のドアを開け覗きながら挨拶にきて顔を合わせたのだった。なんだか緊張したね。すると部長は時々顔を見たことがあったりして知った顔だったが、副部長の方は初めて見るようなヒトだった。さらに自分はそのヒトに対して気になる対象人物としてそれから想うようになったのだった。とはいえ会ったり話したりすることもあまりなく遠くから見るだけだった。その頃は性的でなく憧れの先輩の女生徒として魅了されてた。卒業式では自分から卒業おめでとうございますの意味で(今思うとよく我ながらやったもんだと恥ずかしく思う)握手したと思う。それが精一杯だった。寂しかったね。・・
そんな、小、中、大には味わうことなく唯一文化祭の準備というとこの高一時の(自分にとっては甘酸っぱい青春期の思い出)前日を思い返さずにはいられないね。
・・だから『ビューティフルドリーマー』を観るとこの思い出が思い起こされる・・というわけでは必ずしもないが、今、あの頃を思い返すといい時間を過ごしたなぁと懐かしんでしまう。