Updated on 2月 21, 2016
<夢占い>神聖な性交を間近で見る
(その1)
・・或る広い部屋の隅で、なんらかの施術の為?健康の為のヨガの一種?会社のIさんと先生的の男性が全裸で いろんな体位した性交するのを自分は他の2,3人と一緒に間近で見る。
施している二人も見てるこちら側にとっても卑らしさはまったく感じられなかった。
四つんばいになったIさんの肛門が目の前で大きく見られたかと思うとそこへ男性の極太な男根が挿入されたりなど暫くの間自分も見てる。二人は激しい動きもせず、声もたてず静かにゆっくりとした行為をする。
・・なんだか神聖に見えたりした。
(その2)
会社Tでの打ち合わせ?
ラッシュチェックしてた為、自分は少し遅れて打ち合わせの部屋(テレビのあるアパートの一室のよう)に入るとスタッフのひとりのHさんが自分に対し「いつも遅れて来るよね。」と嫌味ったらしく云ってくる。隣には酔っているNさん。Nさんは自分に対してオチャラけながら”頭をこっちへかせ”のような仕草をするので戒めのゲンコツかな?と判断しながら頭をもっていくとゴツンとぶたれた。
(その3)
・・実家の庭の隅にある置き物(高いカゴ状のもの)の中に自分は手にしてた青い荷物を中に入れておくと、後に母から「あれ、何よ?」と云われ、自分は~~だと説明すると、その後カゴから取り出して家の中に入れる。
・・庭の景観に悪かったのかな?
<夢分析>・・・Iさんの性交はまさに病院での施術のようなものに見えたので、卑猥さ、卑しさはまったく感じられなかった。逆に神聖なものに見えた。しかも自分を含めた複数の人間が周りで見ているにも関わらず性交する二人も恥じらいもなく興奮することもなく静かに黙々と施してたなぁ。・・でもなんでIさんだったんだろ?
Updated on 1月 23, 2023
(書籍)(小説・エッセイ) 『悪徳の栄え』


マルキ・ド・サド原作、澁澤龍彦訳『悪徳の栄え』(1797年)角川文庫
原題「 l’Histoire de Juliette ou les Prospérités du vice」
”表現の自由”とあるが(サド裁判がどうだったとかではなく)さすがにこの本は凄まじい。書物の年代的には逆になるが先に読んだ沼正三原作「家畜人ヤプー」を読んだ時の読みごたえがあったね。
ただ読んでて、ストーリーとか何が(誰が)どうしたどうなったという展開が頭に入ってこない。ひたすらひたすら繰りひろげられる残虐な殺戮と”タブー”という言葉さえ忘れてしまう性行為(行為というには言葉がキレイすぎるか?)の連続に自分は読みながら想像しながら(中には想像し難しい漢字表現があったりなど・・若気、栽尾、親嘴、精水、玉門、・・)繰り返される人間としての欲望赴くままの営みに以前観たパゾリーニの映画「ソドムの市」の描写もまだ全然抑えられているなぁと思い返したりと。
・・あと過激な性描写だけでなく登場人物たちの語る哲学的主張もいいね。
いち映画ファンのひとりとして(この本の賞賛者のひとりとして)いつか原作に忠実なR指定もブッ飛ぶような(ロジェ・バディム版とは違う)映像化をつくって欲しいね。
「・・幸福は悪徳のうちにあるものでもなければ、美徳のうちにあるものでもなく、われわれひとりひとりが自由に感じるその感じ方、人間の素質に応じてわれわれが行なう選択のうちにこそあるものだからである。・・地上における最も幸福な人間は、明らかに、どんな行為であれ魂が受けうる最も激烈な動揺を、己の魂に甘受しうる人間、ということになろう。 p158~p160本文より」←多数ある気に入ってペンでラインを引いた中の一節より







